自己重要感とは
ある方との話のなかで、こういう話が出てきたんですけど、このテーマでのお悩み意外と多いみたいなので、ブログにも書きます😁
いつもの事ですが、これが正解!って言う事ではなく、1つの考え方として、共感し、心が救われる人が一人でもいてくれたらいいなと思いつつ書きますんでね✌️
次回は楽しい話題にしますんでね♥️
そもそも自己重要感って
自己重要感とは、自分の存在が、世の中や、誰かにとって必要不可欠なものであると感じるかどうかだ、なんていう大袈裟な表現も出来ますが、実際、そこまで考えて過ごしてる人は少ないですよね。
もっと悩んでる人に寄り沿って表現するならば、自分は生きてる価値があるって思えることかな、タガコーは考えます。
逆に、自分は生きてる価値がない人間だと思っている状態が一番つらい状態でしょうか😭
なぜ生きている価値がないと感じるのか
こんな悲しい考えに至るのはなぜでしょうか?
心が弱い人だから、ではないと思います。
『自分の存在が誰かのために役に立っている』という、実感が、あまりない方がこういう言葉を口にされることが多いかなって。
なんの役にもたっていない自分はこの世に存在する価値がないと続いていくんですねぇ、、、
多分、あなたが生まれて来ただけで、親を既に喜ばせているし、それだけで価値がある、なんて言ったって納得されないでしょう😅
もう一つよく聞く話で、承認欲求なんて言葉も一般的になりましたが、これが満たされない結果が、自己重要感の低下に繋がりやすいようです。
自己重要感が満たされるプロセス
わかりやすい表現で言えば、『褒められる』と言うところが始まりでしょうか。
褒められるとは、言い換えれば認められたということですから。
じゃあ、どんなときに褒められるでしょうか?
学生なら、テスト100点偉いね、運動会で一等賞凄いね。
会社員なら、仕事速いね、契約取れたねおめでとう。
主婦なら、家事いつもありがとう、子育てがんばってるね。
とまあ、こんな感じでしょうかね。
これらを見てどう感じますか?
褒められるのって、『何か結果が出た時』だったなって思いませんか?
でもそれは当たり前ですよね。
と考えると、『褒められたとき』に自己重要感が高まるなら、結果を出し続けなければ満たされない事になりますよ。
実はそれが、『自己重要感を低下させる原因』になっているのだと思います。
自己重要感は意図的に作れる
と、私は思っています。
ただし、簡単に、とは言ってませんからね。
誤解なきよう、、、。
では、、、
承認欲求の入口って実は、『存在を承認されること』なんですよ。
褒めるっていうのは、結果を出さないと褒められない。
(可愛いねとか、賢いねとか、そんなんは別ですよ。)
だけど、あなたがここにいること、存在自体を承認することはいつでもできるんですよね。
『なーんや、簡単やん、ここにいてくれてありがとうって言えばいいんやろ?』なんて声が聞こえてきますけど、そんなに簡単だと思いますか?
大して自分の事を知ってもくれていない上司とかから、『入社してきてくれてありがとう』なんて言われて心に入ってこないでしょうし、逆に、俺の何を知ってるねん偽善者って思われるのがオチですよ。
その人の、心のコップが上に向くように働きかけ、そして雫を浴びせるように、少しづつ、信頼を作り、存在を承認し続けて、そのコップが溢れるまで注ぎ続けるってことなんですけど、このコップ、人の心のなかにあるものやから、ドンだけたまってるかなんて見えへんのです。
見えへんから、終わりなく続けるんです。
あなたの自己重要感が低いのは、周りの大人や、上司が心言ったことを理解していないか、必要ではないと考えているからかも知れません。
だけどね。
自己重要感は意図的に作り出せると。
どうするのか?
それは、上記の様なことを、『実行する』と言うことです。
は?何それ?って思いますか?
人はね、自分の事をよく見てくれている、よく思ってくれてる人の事をよく思う傾向が強いんです。
あなたが周りの存在を承認し続けて、相手の自己重要感を高めていれば全ての人とは言いませんが、そのうちの何人かは、あなたの存在を貴重だと感じるでしょう。
だけど、勘違いしないでください。
相手が何をしても認めるってことじゃないんでね。
悪いことは悪いと、ちゃんと言えなきゃいけないですもちろん。
信頼という土台を築く事が根底にあるからこそ、褒めても叱っても相手に響くんです。
言葉のテクニックじゃなくて、この人が言うから響くと思われる、そういう風になって行きたいですよね♥️
考え方がその人そのものです
もっと詳しく!って方はDMで!
っていねぇーかそんな人(笑)
タガコーでした✋